ルーツを求めて旅に出よう
宇治(京都府)方面を訪ねて
インゲン豆の名前のふるさと黄檗山萬福寺・宇治茶のふるさとや
世界遺産の平等院・宇治上神社など
黄檗山萬福寺
1654年(江戸時代)、中国福建省から渡来した隠元禅師が後水尾法皇や徳川4代将軍家綱公の尊崇を得て、
1661年に開創された中国風の寺院であり、日本三禅宗(臨済。曹洞。黄檗)のひとつです。
隠元は、中国でも一流の僧であったそうです。中国の黄檗山と同じ様式の寺で、読経も中国語の発音です。
隠元豆は、隠元禅師が日本に持ってきたとされています。(フジマメを持って来たという説もありますが)
この時に隠元豆という名前が付いたとされています。煎茶、孟宗のタケノコや普茶料理(ふちゃりょうり/中国僧の精進料理)などもを伝える。

開ばん(木魚の原型)
総門前、左右の龍目井(りゅうもくせい)の間に建つ駒蹄影園碑は、茶種の蒔き方を宇治の里人に教えた明恵上人への感謝と、その功績を顕彰するため、1926(大正15)年に宇治郡茶業組合によって建立されたものです。
電車:JR奈良線黄檗駅、京阪宇治線京阪黄檗駅下車、徒歩5分

世界文化遺産 宇治上神社 宇治川
400人以上が登場する源氏物語の最後のヒロイン、「浮船」が、宇治川に身を投げるが、救われて出家し、後に訪れた光源氏の子薫君を「人違い」とはねつける強さをもった女性としてえがかれている。
また、宇治の地名は、応神天皇の皇子、菟道稚郎子が宮を開いたのに由来する。皇子を祭るのが、宇治、宇治上の両神社だ。
この宇治川は、平家物語で、源氏同士が先陣争いで戦った場所としても、有名です。
(梶原景季・・名馬、磨墨(するすみ) と、佐々木高綱・・名馬「池月」の争いで有名な話としては、高綱は『梶原殿、馬の腹帯が緩んでいるようだ』と言ったので、謀られたとは知らず景季は腹帯を引締めている間に、高綱は追い越して対岸に跳びあがり『佐々木四郎高綱、宇治川の先陣仕まつった』と名乗りを挙げたそうです。)
2004.5.27.(木)
「宇治の橋姫」 伝説:宇治の橋姫は悪阻(つわり)に苦しんでいた
ので、夫に「七尋(ひろ)のワカメを海で獲ってきて下さい」と頼みます。
しかし、海に出かけた夫は美しい龍神に囚われてしまいます。
会うことも叶わなくなった橋姫は憎い龍神を呪うことを考え、
その頃、心願成就で知られた貴船に参詣し「私を鬼に変身させてほしい、
そして憎い龍神を呪いたい」と祈願すると、貴船の神は「髪を松ヤニで
固め角を作り、その先に火を灯し、鉄輪(かなわ)を被って、三本の松明を持ち、
宇治川に二十二日間浸りなさい」とお告げがあり、そのお告げの通り
一心不乱に宇治川に浸った橋姫は鬼になったと伝わります。
この伝説が最初に登場するのは「屋代本平家物語」、いわゆる学校で
習う表の平家物語に対する裏の平家物語です。:
「橋姫」は元来は 水辺、特に橋の守り神とされます。宇治には 橋姫神社がありますが、今は少し宇治橋から
離れてはいますが、元々は宇治橋のたもとに
あったと云います。 また宇治橋に限らず古来の橋には橋を守る
一角、祠が設けられたりしていたようです。
その昔ではその橋姫を鬼と化し何かを伝え ようとしたものでしょうか。
一方の謡曲「鉄輪」は安倍晴明伝説を作り 上げる過程で、橋姫伝説に目を付けて、
ちょっと話をお借りしたってところでしょうか。
| 世界遺産の古都京都の文化財 | |
| 賀茂別雷神社(上賀茂神社)・賀茂御祖神社(下鴨神社) 延暦寺・ 教王護国寺(東寺) 清水寺・高山寺・醍醐寺・仁和寺・平等院・宇治上神社 西芳寺(苔寺)・天龍寺・鹿苑寺(金閣寺)・慈照寺(銀閣寺) 龍安寺・本願寺(西本願寺)・二条城 以上17箇所 |